1957-02-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号
ソ連地区第十一次引き揚げ副梯団長、元機動旅団長木下秀閉君、元満州国警務総局長星子敏雄君、元陸軍中尉津守佑弘君、元満州国警察官谷口新次君であります。まず、委員長より参考人各位に対し、一言ごあいさつ申し上げます。参考人各位には、御多忙中のところ御出席をわずらわしまして、委員長として厚く御礼申し上げます。
ソ連地区第十一次引き揚げ副梯団長、元機動旅団長木下秀閉君、元満州国警務総局長星子敏雄君、元陸軍中尉津守佑弘君、元満州国警察官谷口新次君であります。まず、委員長より参考人各位に対し、一言ごあいさつ申し上げます。参考人各位には、御多忙中のところ御出席をわずらわしまして、委員長として厚く御礼申し上げます。
進徳丸が投錨いたしましてから、参議院の社会労働委員の諸君と合流いたしまして同船におもむき、船上において、衆参派遣委員を代表し、私が帰国者諸君に親しくお喜びと激励のごあいさつを申し上げたところ、これに対しまして、斎藤梯団長より、戦後十年間のおくれを取り戻し、皆様とともに祖国日本の復興に力を尽したいとの力強いあいさつがありました。
すでに梯団長柴田氏より述べられましたごとく、第二分所においては、大堀事件の際、第一分所より転属せしめられたる班長、実は私もその中の一人でありますが、その他によって、早くより個人の責任の範囲内による柔軟な強制労働の拒否が開始され、戦友である一人は、昨年十月ウオロシーロフあて左記要旨の請願書を提出してい、強制労働の拒否に出たのであります。
更に午後二時から一時間に亙り長谷川梯団長以下幹部七名の出席を願い、衆参議員代表との間に、今回の引揚げについて、又残留者の引揚げ等について座談的に質疑応答が行われたのでありますが、なお詳細な点については、工藤外事部長及び今回の引揚者代表を参議院に参考人として出席を求め、引揚者の援護対策並びに今後の残留者引揚対策の参考に資する必要があると思うのであります。
第一次ソ連地区引揚梯団長、元関東軍報道部長長谷川宇一君にお願いをいたします。
船内におきまして、いわゆる梯団長の方々がおつくりくださいました残留者の名簿も、個々の覚書という形において、より正確なものが入手できると考えております。
私たち派遣団は、この興安丸を迎えるべく十一月三十日の夜東京を出発、十二月一日の朝東舞鶴に着きましてただらに援護局のさん橋より舟で興安丸に行き、最初のランチが出ますまでの間長谷川梯団長と懇談いたした後、ランチでさん橋へ参り、引揚者の諸君をお迎えいたしたのでありますが、過般の中共地区引揚げ、または昭和二十五年のソ連地区引揚げの場合と異なりまして、今回の引揚げはまことに穏やかでありまして、迎える者も迎えられます
○理事(淺岡信夫君) 更に証人にお尋ねいたしますが、この宮地とか、或いは大久保とか、明優丸で帰つて来た副梯団長とか、そう言つた方々の命を受けて行なつたとか、行わなかつたとか、そういうようなことがありましたかどうか。
その間に彼らはどういうことをしたか知りませんが、私たちが船に乗つて、宿舎の割当を事務長に今村梯団長がとつておつたわけです。そうしたところが御承知のように高砂丸というのは、船は大きいけれども、百名とまとまつた一個中隊は乗せられない船なんです。みんなばらばらです。いろいろ調査の必要もあるから、なるべく二分団にわけて乗せろと事務長に二時間にわたつて部屋の割当をやつておりました。
○相原証人 私をつるし上げた人は久保田善藏、彼は日の丸梯団長で帰つて参りましたが、私は彼からつるし上げられておるのです。いわゆるキリスト教徒の人道主義者としてそれまで私はバイブルと金の十字架を持つておりましたが、そういうものを持つておるのは本質的にいわゆる民主分子というものではないというので、彼に取上げられたといつた方が早いです。
それから私は梯団長で帰りました関係で知つているのですが、私の知つている範囲の方は、ずいぶん知識の高い人でも就職難でおられます。これは日本の今の状況としてごむりのないことと思いますが、できればひとつ就職についてごあつせんを願いたい。なお一部の方はこういうことをおつしやいます。戰災を受けた者はかわいそうだ、これは同情しなければならぬ。
その実例を申し上げますと、私は山澄丸の梯団長として引揚げて来たのでありますが、私の引揚げたときは、初めは梯団長ではございません、勤労者組合に入つておりませんから、私はオミツトされて、すみの方で小さくなつて、赤旗に送られて大連に来ました。
又蒙古におきまして、収容所司令官ソソロバルン少将は正しく我々を取扱つて呉れまして、殊に私はタモイのときの第二梯団長として出発したのでありますが、出発する夜中でございます。自動車行軍の始まるところにわざわざ来て呉れまして、お前達がこの二年間外蒙の首府の建設に努力したことにつきまして一応謝辞を述べられたこともございました。
只今引揚の、前委員長の千田委員から、概要の中間報告がありまして、後は文書によつて重大な段階に達しました引揚の問題に対しまして御報告があると思いますが、ここで委員長に特にお諮りを願いたいと思うことは、これは今日の委員会が成立しまして、そうして一切の役員もできたことですから、ここで急遽お諮りを願いたいと思うのでございますが、それは私共三名の者が派遣されまして、そうして最終船の一応言われておりまする信洋丸の梯団長以下
○証人(金子麟君) 私は山澄丸の梯団長としてお答えいたします。没収されましたものは書籍と麻薬でありました。麻薬はこれは国際法上いけないからと言つて没収されました。書籍は一時預かる。その中で返して下されなかつたのは地図でございました。私も取られました。日本地図を取られました。これは返して貰えませんでした……間違いました。日本地図を取られたのはソ連であります。こちらでは麻薬です。
○証人(金子麟君) 私が梯団長をしております時に、外務省の調査課の方がお出でになりまして、残つておる人員でありますね、大連に残つていらつしやる人員はどのくらいあるか、各企業体に分つたら調べて貰いたいと、こういう御要求でありました。
○淺岡信夫君 これは山澄丸並びに高砂丸の、金子証人は、山澄丸の梯団長でありますし、それから高砂丸の副梯団長格の杉田証人にお伺いしたいのですが、今度中共……。
それから淋疾につきましては、これは向うの梯団長に話をいたしまして、あなた方の方の考えで、こういう方々にはいろいろ従来の職業その他の関係から病気が多いと思われる人については、援護局の医療係の方に相談に出向くように指導していただきたいということを申し出ました。
各副梯団長というのは、或はアクティヴから任命されるというようなことを私共は聞いておるのでありますが、その通りでありますかどうか。
でちよつと待つておくれ、梯團長は今交渉しておるからと言つてなだめておりましたが、その間梯団長が交渉いたしまして、今晩は船に乘せることができないから、この倉庫を開放するからこの倉庫で休んで呉れと言われたというので……。 〔「簡單にお願いいたします」と呼ぶ者あり〕